七草粥 由来は中国にあった!その起源と歴史を紐解く
お正月の1月7日は「七草粥」を食べるって風習が日本には古くからあるわ。
なんでこの日に、しかも普段食べないような「草」をわざわざ人間が食べているのか、いつも不思議で仕方なかったの。
いつ始まった行事なのか、どんな由来があるのか。気になってきちゃったから、調べてまとめてみる事にしたわ。気になる人は参考にしてみて。
由来は中国にあった!
1月7日という日付に七草粥を食べるという風習は一説によると「七種菜羹(しちしゅさいかん)」という7種類の野菜のスープを食べて健康を祈るという風習が起源と言われているわ。その由来は古来中国に遡るわ。
中国の前漢時代、その頃はお正月の1日は「鶏の日」、2日を「狗(犬)の日」、3日を「猪(豚)の日」、4日を「羊の日」、5日を「牛の日」、6日を「馬の日」、そして7日は「人の日」とし、それぞれで新年の運勢を占っていたの。それが唐の時代になって、人日(じんじつ)の日に7種類の若菜を入れてた汁物を食べて無病息災を願うという風習になったの。
それが「七種菜羹(しちしゅさいかん)」なのよ。ちなみに「羹」はあつもの、汁という意味よ。官吏昇進が1月7日にあったことから、その日の朝に七種菜羹を食べ、「立身出世を願う」という意味も加わったとされているわ。
カラダにも良い?!
冬の寒い時期に芽を出す若菜はとても貴重な食材だった。栄養面でも、若菜は体内の塩分を中和したり体外に排出する作用があって、汗のかきずらい冬にはとても理にかなった食材でもあったのよ。
あと現代人特にだけど。お粥は消化が良いから、お正月明けには最高よ。食べて飲んでゴロゴロして・・・。胃腸の疲れは最高潮に達しているわ。お正月に頑張って働いてくれた胃腸をいたわる日でもあるのよ。
万葉集の和歌にも登場
若菜摘み(春の野に出て若菜を摘むこと)の様子は飛鳥時代の万葉集の和歌でも詠まれているわ。
春菜(はるな)摘まむと 標(し)めし野に
昨日も今日も 雪は降リつつ
山部赤人の歌よ。やっと春が近づいてきた。若菜摘みに行けるどー!と喜んだのもつかの間、また雪が降ってきるやーん(ガッカリ)。という歌よ。百人一首にも若菜摘みを題材にした和歌が選ばれていて、昔から若菜摘みは私たち日本人の生活や文化に深く根ざしていたことがわかるわね。
そんな若菜から7種類を選び、人日の節句に宮中に奉るようになったのは平安時代の第60代天皇の醍醐天皇の時代よ。
なぜ7種類かというと、昔から7という数字は縁起の良い数字とされていたから。けれどその時点では7草の種類は厳密に決められてはいなかったの。
現在の七草が定番化したのはいつ?
決められたのは鎌倉時代の「蔵玉和歌集(ぞうぎょくわかしゅう)」に書かれたことがきっかけと言われているわ。その後、江戸時代に「年中故事要言」で和歌の体裁に整えられて、あの有名な和歌が生まれたの。
これ、子供の頃によく覚えさせられたでしょ?この和歌が広まったことで、この7種類の若菜が7草の定番となったと言われているのよ。
まとめ
由来は中国にあった!
由来は中国に伝わる「七種菜羹(しちしゅさいかん)」という7種類の野菜のスープを食べて健康を祈るという風習が起源
カラダにも良い?!
デトックス効果があり汗のかきずらい冬に最適な食材。正月に弱った胃の疲れも癒してくれる。
万葉集の和歌にも登場
若菜を摘み食すことは長く日本でも親しまれていた。
現在の七草が定番化したのはいつ?
今よく知られる7種類が定番化したのは江戸時代から。
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