NHKの「偉人たちの健康診断」
偉人たちの思考回路、一緒に覗いてみましょ。
福沢諭吉と運動
健康という言葉
海外から学ぶ「健康」文化
まず「健康」という言葉。この言葉は福沢諭吉が広めた言葉である。
諭吉は変革の年に生まれ、海を渡り使節としてアメリカやヨーロッパ各地を旅して、様々な文化を学んだ。その一つに「健康」があった。
国民への啓蒙
諭吉は英語healthの訳に「健康」という日本語を当てた。そして「学問のすすめ」をはじめ自身の著書の中でそれを使うことで国民に「健康」を啓蒙したと言われている。
「運動する」ということ
キングス・カレッジ
諭吉がロンドンの名門校キングス・カレッジを訪ねた際、学生たちのしていることに非常に驚いた。
学生たちはロープにつかまりぐるぐる回ったり、鉄棒や雲梯に捕まって運動していた。現代でいうフィールドアスレチックである。
運動を取り入れた環境づくり
揺れを伴う器具は遠心力を使って体感を鍛えられる。
それらの器具を歩きや走りで一連につなぐと、有酸素運動にもなるのでバランスの良い運動になるらしい。
学校で身体運動・遊戯ができる環境づくりが行われていた。
帰国後すぐに遊具の設置
当時の日本では体を動かすことは、生きるための労働や修行と考えられていた。
帰国後諭吉は慶應義塾を設立、校内には運動場を設けて、ブランコや鉄棒、滑り台などを設置した。
それまでの寺子屋や私塾にはそういったものはもちろんなかった。
運動をすることで学問にも良い影響がでると考えたようだ。食後の運動を学校の規則にも定めたほどだった。
上野戦争で大砲の音が轟く最中でも、平然と授業をしていたというエピソードは有名ね。新政府軍がアームストロング砲で力を見せている間に、諭吉はブランコや鉄棒を作って学問を志す青年たちのことを考えている。何とも対照的なところよね。
諭吉が毎日行っていた運動
日課の米つき
臼と杵を使って米つき(精米)。これが諭吉が日課にしていた健康法だった。
重い杵を使っての運動は腕、胸、足腰の筋肉が付き、有酸素運動にもなって心肺機能も高めることができる。
愛用品だった臼と杵
諭吉は毎日この米つきをして、生涯で臼を4つも使い潰したという。年を重ねても健康であり続けた福沢諭吉。健康の源は運動にあり。愛用した臼には諭吉直筆の詩が書かれている。
「 及扇別有保身法 三十余年与汝倶 」
私には米つきという健康法があって
30年というもの
お前さん(臼と杵)と一緒に過ごしてきたのだ
塾生の中には朝一から諭吉の「うん!うん!」という米つきの声を聞いていたという記録もあるほど。健康に人一倍気を使っていたのね。
嘉納治五郎とスポーツ
スポーツ普及の立役者
柔道や剣道など日本古来の武術。江戸時代までは武士のたしなみだったものをスポーツにしていったのが明治時代。
その功労者が柔道の創始者として知られる「嘉納治五郎」だった。
嘉納治五郎の功績
戦で敵を倒すため技術だった「柔術」を「柔道」という形にして世界的スポーツとした人物。
実は柔道以外にも、教育者としての顔があった。
明治日本に体育という教科を作ったのがこの人。治五郎が始めたもので、その後全国に広がっていったものが沢山ある。
運動会やマラソン大会
例えば「運動会」。これは治五郎がはじめたもので、徒競走や障害物競走は治五郎が考案した。他にも「マラソン大会」「部活動」これらを創設したのも治五郎である。
明治日本の健康は福沢諭吉の運動のススメと嘉納治五郎のスポーツのススメから始まったといって過言ではない。
嘉納治五郎といえば大河ドラマ「いだてん」で役所広司さんが演じてた人よね。37話で治五郎さんがなくなった後、ネット上では「治五郎ロス」もあったみたい。治五郎さんの訃報を受けて当時IOC委員たちから追悼のメッセージが多く寄せられたというわ。世界のスポーツ界においても多大な影響を与えた偉大な人だったのね。
夏目漱石の健康法
漱石の健康への関心
漱石は様々な運動で健康になろうと頑張った「健康法マニア」だったという話。
晩年漱石はこんな言葉を残している。
私は病気をしに生まれてきたようなものです
始終どこか悪いのです
病との戦い
常に病気と闘ってきた漱石。3歳で天然痘、19歳で腹膜炎 その頃から胃炎に悩み始め、27歳で肺結核を疑われ、30歳で神経衰弱と診断。
晩年は糖尿病と、まさに病気のデパートだった。
様々なスポーツへの関心
だからこそ、最新の健康法を実践しようとしていた漱石。漱石の書簡やエッセイにはスポーツに関する言葉が頻繁に出てくる。
まず、学生時代には手漕ぎボートで東京から横浜まで漕いだことがあったり水泳や友人の正岡子規に教えてもらったと言われる野球、それに器械体操。
イギリスロンドンに留学し自転車にも載っていた。
筋トレをしていた記録も
最新のスポーツで健康維持をしようとしていた漱石。果ては筋力トレーニングなども志向する。
漱石の日記には「エキザーサイサーを買ってきてもらう」という記述があった。
エキザーサイサーとは欧米で考案されたトレーニング器具で、柱に器具を取り付けてから2本の紐を手で持って引っ張るようにしながら体感を鍛える、そんな器具だった。
漱石の日記は「エキザーサイサーをやる 四、五遍 夜からだ痛し」。
しかし・・・どれも長続きしないのが漱石だった。飽きっぽい性格だったようだ。
「文豪」と聞くと何となく体調悪そうなイメージあるけど、夏目漱石はまさにそうだったのね。そして晩年、漱石の神経衰弱を救ったのは、「吾輩は猫である」のモデルになった黒猫だったのよね。漱石の最後の健康法は「アニマルセラピー」、これだったのね。