ファーブル昆虫記から学ぶ「人間の生き方」
今回は感銘を受けたファーブル昆虫記について。テレビ番組「100分で名著」の中で取り上げられた話を紹介したいと思う。
ファーブルは苦労人
ファーブル氏は実に苦労人である。ファーブル昆虫記を書き始めたのは50歳。
それから30年をかけ全10巻を書き上げたという。
貧しい生家
ファーブルは家が大変貧しかった為、幼児の時、両親tと別れて祖父の元へ預けられていた。
友達はほとんどいなかったが、彼には「別の友人」が大勢いた。虫たちだ。
昆虫と遊ぶのが本当に好きで、珍しい虫の声が聞こえると、何日かかっても探す子供だったとか。祖父母も呆れていた。
7歳になると村に戻って学校へ通った。相変わらずファーブルは昆虫と動物と遊んでばかりだった。
一家離散
14歳の時、実家のコーヒー店が破綻。一家離散の憂き目にあう。
過酷な労働
ファーブル氏は鉄道会社で作業員として長時間の過酷な肉体労働をせざるを得ない状況に追い込まれる。遊園地でレモン売りもした。一日働いてもパンがようやく食べられる程度の貧しい生活が続いた。
学問への情熱
宿がない時には公園のベンチで星空を見ながら眠った。
そのような過酷な状況の中でも、彼は学問への情熱を失わなかった。
師範学校入学、そして教員の道へ
日夜自己学習に励み、15歳の時、アヴィニョン師範学校の奨学生募集に応募しトップの成績で合格。
師範学校卒業後は小学校の教師になり、数学と物理学の博士号も取得したのだった。
スカラベ・サクレ
名前の由来
ファーブル昆虫記といえば「ふんころがし」である。別名「スカラベ・サクレ」といい、古代エジプトでは太陽を転がす神の化身とされていたそうだ。
凄いところ
ファーブルさんの実験
ファーブル氏はスカラベの転がしている糞にある実験を企てる。
「一生懸命転がしている糞に釘を刺して動けなくしたらスカラベはどうするか?」
なんということを・・・。スカラベに憐れみを抱いた。
しかし、スカラベはへこたれなかったようである。
せっかく球体に整えた「作品」を一度分解、再形成して運び始めたというのだ。
スカラベはなぜ「転がす」のか
なぜこうまでして糞を運ばなければならないのだろう。
動物の糞に含まれる栄養はとても少ない。そのためある程度大量に食べる必要があるのだ。
その場にとどまって食べようものなら他のライバルたちにもとられてしまう恐れがあるので、こうような球体にして安全なところまで運び、食べるという習性になったのだとか。
空腹をこらえて昼夜を問わず頑張るスカラベである。自分がスカラベに生まれ変わったら、巣に持ち帰る頃には糞は半分くらいになっているだろう。つまみ食いである。
スカラベの卵
卵をようやく発見
30年間スカラベの研究をする中でファーブル氏はスカラベの卵も発見する。
奇妙な洋ナシ型に成形された糞の先端に産み付けられていたそうだ。
スカラベの「工夫」
なぜこのような形を形成したのか。これにも驚きの工夫がある。
洋ナシ型の糞、その先端は粗い繊維質の素材で形成されている。
産み付けた卵に酸素が十分いきわたるよう設計されているのである。生まれてくる命への愛を感じる設計だ。
親から子への愛
そうして愛されて生まれた幼虫は、なんの苦労もないまま、当たり前のように糞を食べながら成長していくのだろう。
人間の私もそうやって、今まで育ってきたな、とスカラベの幼虫と自分を重ねてしまう。
まとめ
ファーブル氏はスカラベの研究を通じて「すべての生命には意味や役割がある」と思い至ったそうだ。いまの私の生命には、いったいどんな意味や役割があるか。
初めから与えられているものだとすれば、それはもう運命や宿命のようなものだろう。そのような宿命めいたもので今の自分が規定されているという実感がこれまでなかったが、よくよく振り返っていれば、父と母、兄の存在や、生まれ育った町については私が選択したものではなく、「運命的」なものである。スカラベと等しく、私も「洋ナシ型の巣」で守られながら成長し、そしていま、その思考の土台のうえに立ち、人生を転がしているのだなと、感じいたった。
仕事に追われる毎日。悲観してしまうこともあるが、楽しいこと、喜びもパラパラと散りばめられている。私の宿命に感謝を示しながら、その先の選択に勇気をもって手を伸ばしたいと感じた。